2012年6月8日金曜日

ヤマト話題ばかりで申し訳ありませんが、旧シリーズ最大の不思議を質問します。

ヤマト話題ばかりで申し訳ありませんが、旧シリーズ最大の不思議を質問します。

旧シリーズのヤマトの放送は低視聴率にあえぎ、劇場版制作も、ヒットを信じたトライだったなどと言う人もいますが、実際は、TVシリーズでかかえた負債の返済目的があったとされてます。

これで売れなかったら、西崎氏はアニメから手をひくつもりだったようです。



西崎さんのアニメ制作は「海のトリトン」、「ワンサくん」と、いろいろ試行錯誤しながら評価はえられながらも商業的な失敗におわっていて、精力的におこなったヤマトも失敗した。

これ以上失敗したら、別の業界で食うしかなかったでしょう、

年齢は40歳でしたし。



でも、ヒットして、さらばの製作になったのですが・・・・

なぜ、ここで終わらせようと一旦考えたのでしょうか?



売れたのだったら、「もっと続けよう」「もっといい作品にしよう」と、思うのが製作者だと思います。

だから、タイトルは「さらば」でも、中身は続く内容にするはずですが、主人公の古代を最終回のアニメ、鉄腕アトムのごとく特攻させてしまいました。

そして、「もう、ヤマトは作らない」の手書きのエンドテロップまで流したのです。



「さらば」の制作時点で、西崎氏は「古代進が主人公のヤマト」を完全に終わらせようとしていたことが伺えますが、大ヒットしたので生き返らせ、続編をつくったと、一般では短絡的に言われています。



しかし、それは、思慮深い人にはふにおちません。

なぜ、懸命な努力の果てに大ヒットさせた作品をたった2作目で完了させたかったのかの理由がわからないのです。

「さらば」の製作期間中もラジオ番組に出るなどして、もりあげていたのに、まるで次回作で終わらせるような気配ではなかったのにです。



当時、彼には何か、別の仕事があって、そちらに移行する話でもあったのでしょうか?

そして、「さらば」のヒットによってそちらとの天秤で、ヤマトの方が儲かるとみたかのように伺えます。



西崎さんが当時「さらば」でヤマトを終わらせたかった理由については、どこにも書かれてなく見つけることができません。

知っている方いたらおしえてください。







故人の想いを知る術は今となっては無いわけですからあくまで推測の域を

出ませんが、当時のアニメ事情として続編(シリーズ化)したアニメというのは

極めて少なかったし、続編の製作にあたってもヒーロー物で全く同じ設定、

キャラクター、ストーリーを踏襲する作品は皆無といった状態

(マジンガーZは続編はグレートマジンガー、ゲッターロボは強化型登場のゲッターロボG)

ですから西崎氏としても敵方こそ変更になるとはいえ、

メインキャラやメインメカに大きな変更のない

さらばもしくはTVシリーズPART2でこの作品は終了と考えていたとしても

当時としては至極普通の考え方ではないかと思いますけど。

私もさらば製作当時、西崎氏が製作進捗状況を語るコーナーを設けた

オールナイトニッポンは毎週聞いていましたけど主題歌「ヤマトより愛をこめて」

の歌詞がまだ準備稿であるにもかかわらず、放送内で発表したり

(「今はさらばといわせないでくれ」の部分が「今はさらばといわせないでほしい」だった!)

西崎氏のヤマトへの思い入れがヒシヒシと感じられる内容でしたんで・・・

PARTⅢ以降が製作された時はさもありなんとは思いましたけどね

(肯定しているわけではないですよ!私もさらばでヤマトは終わって欲しかった人なんで!!)

ちなみに劇場版さらばとTV版PART2の結末(メインキャラが生存)が違うのは

商業主義で続編を作る伏線にする為ではなく松本氏が劇場版のラストに不満で

「若者は安易に死んではいけない」という主張が通った為と聞いてました。

ある意味同一作品のシリーズ化の先鞭をつけたのが皮肉にもヤマトって

結果になってしまったわけですが・・・



他の回答者の方が松本氏が難癖つける為みたいな趣旨の書き込みを

されていますが、雑誌「丸」1978年11月号の戦艦大和(本物の方ですよ)

特集記事の寄稿として以下の様な記事が掲載されています。

彼のヤマトに対する思いが実は一般の人が思っているのとはかなり違うのが

わかると思いますよ。

以下抜粋

『私は戦後おしよせた漫画の本と、ディズニーやフライシャーのアニメーションに触発されてこの道を選んだつもりだ。いつの日か、彼等のものを上まわるアニメーションをつくりたいと子供の頃から夢見てきた。そのアニメーションとは正直の所、「宇宙戦艦ヤマト」みたいなものではなかった。SFももちろんやりたい、が、もっとメルヘンチックなあたたかいものをつくりたかった、というのが本音である。

「ヤマト」をやるとどうしても一人楽しむはずだった趣味の部分が色濃く出てしまって、自分自身、スクリーンを見ていて冷汗が出てくる。ただアニメーションに手をふれる絶好のチャンスだっただけに、四の五のいってより好みをしている程のゆとりはなかったのだ。とにかく「ヤマト」であろうと何であろうとアニメーションを造れと言われれば渡に船で、とにかく飛び乗ったのが「ヤマト」であると告白せざるをえない。しかし「ヤマト」と聞いて胸にズシリと来ない訳にはいかなかった。「大和」はまだ沈んだままで三千数百体の遺骨と共に海底に沈んだままなのだ。どうあつかうにしろ、それをSFだと割り切るにしろ、やったあとやはりあれこれと後悔の念が浮かんでしまう。実在した「大和」という偉大なキャラクターの前に、やはりフィクションは影が薄いのかもしれない。私は「大和」も「ヤマト」も、ゼロ戦も疾風も好きだ。自分の趣味である限りは気楽だったのだが、作品化アニメ化するとなればどうしても、共に死んだ人達のことを考えないわけにはいかなくなる。・・・以下略』

まさに劇場版さらばロードショー直後の寄稿で西崎氏の作品に対する主張と

相容れない松本氏の主張がここに見て取れますし、

ヤマトという作品自体に固執しているわけでもないというのが見て取れます。

ただ利権の発生する件についてはそれを生業としているわけですから

主張するのは当然ですし、そうしなければやっていけない業界なわけですから

それを難癖っていう人はちょっと甘いんじゃないって気がしますけどね。

(サラリーマンにゃわかんないことでしょうか?)

まあ、槙原氏との件はどうかな~って気はしましたけどね(笑)








逆に聞きたいのですが、西崎さんはヤマト以外何がありますか?

「ブルーノア」でしたっけ、ヤマトの空母版の話も低視聴率でこけました。

「さらば」でヤマトを終わらせ、他の作品をと思ってもそれがこけたからヤマトで稼ごうと考えたのでしょう。

松本さんは漫画家ですから利益より作品優先になるでしょうし、他のヒットもあります。

西崎さんはプロデューサーですから商売優先でしょう。

ヒットが無いなら人気のあるヤマトを眠らせておく事は無いでしょう。







宇宙戦艦ヤマト



最初のTV放送時からリアルタイムで視聴していましたし

松本世界観のファンであり、ヤマトのファンですが



宇宙戦艦ヤマト

自体は本来「松本作品」では無くて

ですが、松本氏の描くメカニックが上手くマッチし過ぎて?

まるで「原作者=松本氏」のようになってしまい

松本氏の作品の多くに共通するのが「結末が無い」コトが欠点?

ハーロックしかり、999しかり、で未来の結末が無い

では「興行作品」としては難しい?のかとも

だから「こそ」あえて「終わらせる」コトにしたのかも?





宇宙戦艦ヤマトは元々は小惑星にエンジンを搭載して

そう「アステロイドベルト」のような感じの作品となる予定でったそうで?

ストーリーも松本氏の世界観でも無ければ西崎氏の世界観でも無く

一作目の「オリジナル・ヤマト(?)」のストーリーは実は『西遊記』のパクリ

○人心は乱れ都は荒廃し、それを救う為に

天竺へ行きありがたい経典を手に入れて都へ戻り人々を救う

●ガミラスの攻撃で地球は荒廃し絶滅寸前

それを救う為にイスカンダルへ渡りコスモクリーナーを手に入れて戻る

最も身近で知られている物語のリメイクが「ヤマト」です

(上記のコトは脚本家の談話として過去に出ていましたね)



日本人の中に眠る?世界最大の「誇れる戦艦大和」と「宇宙戦艦ヤマト」

それが松本氏独特のメカニカル表現とリンクしてヒットしたが

無理に松本氏の世界観の中に押し込めると「広がり」は失われる

から「松本氏のヤマト」は終わらせたかった?のかも

だから史実に近いような(?)自爆特攻のような終り方にさせることで

「宇宙戦艦ヤマト」を「戦艦ヤマト」に重ねたのでは?

(宇宙戦艦ヤマト自体はまだ継続をする可能性を残す意味で)

ヤマトの本質は「生きて地球に戻る事」なのは西遊記と同じ

さらば~と完結編以外のヤマトは帰って来ているしね



やはり最初のヤマトが一番良いかな?

西遊記~お坊様が人々を「救う為」にお経を持ち帰る、戦いが主では無く

平和や協調・共存や生存が本当のテーマ?

だからガミラス本星での死闘/激闘に勝利した後で廃墟と化したガミラスに

古代は「戦うべきでは無かった」「理解し合うべきだったのでは?」

と言い

森雪は「私にはもう神様の姿が見えない」

と泣き崩れた

を理解すると、自己犠牲の自爆特攻は決して本来のあるべきヤマトでは無く

無理矢理に帝国海軍の戦艦大和と同じ運命を進ませることによって

一旦の一区切りをしようとしたのかも?知れませんね





松本氏の世界観は前後の、過去~未来の時間軸に沿って展開する(?)

部分的にパラレルワールド的な部分もあるが広がりは得られ難い?

対して、例えばガンダムなどでは同時並行的に多数のストーリーを展開し

物語に奥行きと広がりを持たせているのとは正反対

プロデューサーとしての西崎氏はヤマトをその様に広げたかった?のかも

例えば、ヤマト・完結編の最後に出てくる駆逐艦冬月

最後まで生き残っていた冬月の戦闘/激闘を描いた作品とか?

そんな世界観の作品も観て見たい?かなぁ?



でも個人的には松本ワールドのファンなんですけどね





リアルタイムで見ていた子供の頃は「放射能除去装置」なんて

空想のアニメだけの世界だと思っていたのに「今、まさに欲しい・・・」

とは時代はヤマトを求めている?(笑)





★補足拝見致しました★



だから、終わらせたかったのは「ヤマト」「宇宙戦艦ヤマト」ですよね?

古代進や森雪などのキャラクター達や『SFアニメ』では無いですよね?

所詮は「兵器」であるのならば、古くなれば使い物にならなくなるのは当然

ガンダムだってアムロはそのままでガンダムは進化していきましたよね?

ウルトラマンも仮面ライダーも

最大のスポンサーでもある玩具メーカー側の意向としては「メカは新しく」

が暗黙の了解として、なのであれば、メカとしてのヤマトも同じでは?

と思いますが。必要なのは、求めているのは「地球を救う宇宙戦艦」であって

ヤマトだけに拘る必要は無く、新しい商品=メカを求められれば・・・

ガンダムもずっとRX-78ガンダム+アムロ+ホワイトベースを続けていたのならば

ここまでヒットすることは難しく?常に新しいメカとキャラクターに変えていく

のがウルトラマン、仮面ライダー、戦隊モノ、ガンダムなどのヒット要因ならば

「プロデューサー」としては一旦終わらせて「新しい宇宙戦艦モノ」に移行するのは

当然の考えだと思いますが

見る側の子供の目線、では無くて、作り出す大人達の事情として・・・





でも、「裏の大人達の事情」は知る必要は有る?のかなぁ~

エンターテイメントとして「楽しめれば良い」のでは?

あるいは「埋め込まれたメッセージ」を個人が自己解釈で感じ取る・・・

で宜しいのでは?質問を否定する意味ではありませんけど・・・

回答としては・・・ヤマトの舞台である宇宙同様に謎多きまま・・と。







長文失礼しました。







捕捉について



どのみち議論してても「本当のところ」は分らないし、

自分達が「外見上で知っていること」でしか話せないんだから、

否定的な捕捉だけはしない方がいいよ。。。



せっかくみんな答えてくれてるんだし。。



まあ・・・

制作権がなくても著作権はあるんだし、

自分の意図とは違うモノになり、「作品がひとり歩き」されるのは、

原作者としても嫌だった・・・のでは?



それと・・・

いじわるな考えだけど「集客目的」だったりして。。



どんな作品でもそうですけど、

「最終話」とか「完結編」とか「デレクターズカット版」なんてつけるだけで、

集客が伸びることがあります。。



原作者側に権限がなくて、

お金を生む作品なのに「さらば」とか付けたのは、

終わらせたかったのではなくて「金儲け目的」だったんじゃないの?



何本かシリーズ化してたんでしょ?その映画?

だったら、没個性化したりマンネリ化するのをおそれて、

そんなことをしたのでは?



しかも、その後、復活?したんでしょ・・・

で、さらに集客OK!



単調になりやすく出す度に集客の減る映画の続編に変化をつけて、

客離れを防いだんじゃあないでしょうか。。



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原作者の意向じゃない?



松本なんとかさんの。。。



この人、

「自分の世界観」を乱されるのを極端に嫌がりますからね。



実写版でもイロイロもめたって事だし。。

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